2012年01月29日
P/2003 HT15 (LINEAR)の回帰を検出しました
今回芸西チームによってP/2003 HT15という初めて回帰する周期彗星が検出されました。芸西の天文台としては1994年5月6日の「ブルックス第2彗星」以来実に18年振りのことです。これは新70cm反射鏡で10分露出を14枚も撮影した下元 さんと、その観測結果から軌道計算し、なお的確に判断してスミソニアンに報告した佐藤裕久さんの努力の結晶です。
いまは世界的に望遠鏡が大型化し、70cmクラスの中口径で暗い星を検出することは困難となっています。望遠鏡の多くの欠陥を努力でカバーしていくというアマチュア精神が実って今回の結果を招来しました。
![[P/2003 HT15 (LINEAR)の検出画像]](http://comet-seki.net/Photo/P2012B2_D20120126_p1.jpg)
P/2003 HT15 (LINEAR)の検出画像
いまは世界的に望遠鏡が大型化し、70cmクラスの中口径で暗い星を検出することは困難となっています。望遠鏡の多くの欠陥を努力でカバーしていくというアマチュア精神が実って今回の結果を招来しました。
![[P/2003 HT15 (LINEAR)の検出画像]](http://comet-seki.net/Photo/P2012B2_D20120126_p1.jpg)
P/2003 HT15 (LINEAR)の検出画像
2011年10月11日
彗星発見の条件
毎年秋がやって来て10月11日が訪れると俄かに緊張で体が引き締まる思いです。生まれて初めて彗星を発見したのが今日だったからです。良いお天気でした。一日中茫然として青空を眺め、夢のような気持でした。
しかしあれから丁度50年、なんと半世紀になります!
「いま世界中で誰も知らない星が、この頭上に輝いているのだ。発見は本物だろうか?」と半信半疑の体で、心は渦巻き夢のような気持で一日を過ごしたのでした。
夜明け前の4時50分でした。しし座のベータ星の近くに視野が差し掛かったとき、突然7等級の朦朧とした光体がよぎりました。既に薄明が始まっていました。
「光度は7等、視直径は僅かに2'、彗星独特の尾はなし。非常に小さな球状星団の様です」。
口径僅かに88mm、15xのコメットシーカーですから、眼が鋭くないと見逃してしまいます。現に時を同じくして、私の高知市から西に15km、土佐市に住む池幸一(いけ こういち)氏が、私の譲った10cm25xの反射望遠鏡で同じしし座を捜索していましたが、見事に見逃していました。
この微弱な彗星の発見を可能にしたのは88mmの対物レンズの性能でした。滋賀県の苗村敬夫(なむら たかお)氏の手磨きになるレンズは、抜群の切れ味で、その後このような優秀な対物レンズにお眼にかかったことはありません。これが苗村氏の記念すべき第一作と言うから驚きです。苗村さんは最近その努力が実って『現代の名工』に選ばれました。
彗星の発見は星像の尖鋭なことが何より大切です。シャープな星影は細かな彗星像を検出するばかりか、覗く人の心までシャープにして、捜索に熱中さすのです。この時の私の成功はこの小さなレンズのお陰だと思っています。
私にとって記念すべき第一の発見は、その後彗星の地球への急接近と言うことになり、日頃研鑽した軌道決定の腕の見せ所となったのです。「発見した彗星の軌道計算を自分でやってみたい」というのが私の夢でもありました。
しかしあれから丁度50年、なんと半世紀になります!
「いま世界中で誰も知らない星が、この頭上に輝いているのだ。発見は本物だろうか?」と半信半疑の体で、心は渦巻き夢のような気持で一日を過ごしたのでした。
夜明け前の4時50分でした。しし座のベータ星の近くに視野が差し掛かったとき、突然7等級の朦朧とした光体がよぎりました。既に薄明が始まっていました。
「光度は7等、視直径は僅かに2'、彗星独特の尾はなし。非常に小さな球状星団の様です」。
口径僅かに88mm、15xのコメットシーカーですから、眼が鋭くないと見逃してしまいます。現に時を同じくして、私の高知市から西に15km、土佐市に住む池幸一(いけ こういち)氏が、私の譲った10cm25xの反射望遠鏡で同じしし座を捜索していましたが、見事に見逃していました。
この微弱な彗星の発見を可能にしたのは88mmの対物レンズの性能でした。滋賀県の苗村敬夫(なむら たかお)氏の手磨きになるレンズは、抜群の切れ味で、その後このような優秀な対物レンズにお眼にかかったことはありません。これが苗村氏の記念すべき第一作と言うから驚きです。苗村さんは最近その努力が実って『現代の名工』に選ばれました。
彗星の発見は星像の尖鋭なことが何より大切です。シャープな星影は細かな彗星像を検出するばかりか、覗く人の心までシャープにして、捜索に熱中さすのです。この時の私の成功はこの小さなレンズのお陰だと思っています。
私にとって記念すべき第一の発見は、その後彗星の地球への急接近と言うことになり、日頃研鑽した軌道決定の腕の見せ所となったのです。「発見した彗星の軌道計算を自分でやってみたい」というのが私の夢でもありました。
2011年02月08日
凄い黄砂地獄
年が明けてから1回も雨が降りませんでした。昨日までの約40日、毎日晴天続きで極端に寒い日も多くありました。過去高知県では百何十年無かった記録とか。
空が晴れて観測が進みそうですが、どっこいそうは行かず、大気は黄ばんで猛烈な黄砂です。日によっては遠くの山は見えず、至近距離の風景でさえも煙っています。これは中国からの普通の黄砂現象ではなく、恐らく最近猛威を振るっている九州の「新燃岳」の影響と思われます。高知県も西の端の宿毛で火山灰が降ってきた記録がありますが、はるか東のここ高知市にもついに火山灰が降ってきました。眼に見えない微粒ですが、車の屋根にうっすらと積もっています。濃い黄砂が降ってきて総ての風景が染まった感じです。
昔を思い出しました。20年は経ったでしょうか。フィリピンのピナツボ火山の大爆発で駐屯の米軍が撤退したことがあります。そのころオーストラリアの捜索界の雄、ブラッドフィールドが暁天に彗星発見をやったのですが、芸西では南の空が煙って観測できなかったことがあります。火山灰は成層圏近くにまでせまってしばらく浮遊し、天体観測は世界的に公害を被ったのでした。
写真は自宅の二階の窓からの南の景観で2月7日の午後です。明るいはずの晴天が暗く夕闇のように見えます。

黄砂で夕闇の様になった高知市の空
2011年2月7日午後撮影
空が晴れて観測が進みそうですが、どっこいそうは行かず、大気は黄ばんで猛烈な黄砂です。日によっては遠くの山は見えず、至近距離の風景でさえも煙っています。これは中国からの普通の黄砂現象ではなく、恐らく最近猛威を振るっている九州の「新燃岳」の影響と思われます。高知県も西の端の宿毛で火山灰が降ってきた記録がありますが、はるか東のここ高知市にもついに火山灰が降ってきました。眼に見えない微粒ですが、車の屋根にうっすらと積もっています。濃い黄砂が降ってきて総ての風景が染まった感じです。
昔を思い出しました。20年は経ったでしょうか。フィリピンのピナツボ火山の大爆発で駐屯の米軍が撤退したことがあります。そのころオーストラリアの捜索界の雄、ブラッドフィールドが暁天に彗星発見をやったのですが、芸西では南の空が煙って観測できなかったことがあります。火山灰は成層圏近くにまでせまってしばらく浮遊し、天体観測は世界的に公害を被ったのでした。
写真は自宅の二階の窓からの南の景観で2月7日の午後です。明るいはずの晴天が暗く夕闇のように見えます。

黄砂で夕闇の様になった高知市の空
2011年2月7日午後撮影
2011年01月02日
謹賀新年
今年初めての日記です。
昨年はスミソニアンの小惑星センターの大御所、マースデン博士や森本雅樹氏、それに我々の身近では、村岡健治氏の死去という悲しい出来事がありました。森本先生とは去年の7月、姫路科学館でお会いしたばかりでした。年が明けて、悲しみを乗り越え、そして故人の天文界への貢献に感謝し、希望を新たに努力したいと思います。
年末から寒さと体調不良で床につくことが多かったのですが、今日は気合をかけて近くを散歩しました。写真は四万十川、仁淀川に次ぐ清流と言われている鏡川の風景です。近くに住んでいた坂本竜馬も家からふんどし姿で川に泳ぎに通ったと伝えられています。私も幼い頃には父に連れられてここで泳ぎを覚えました。小学校の体育の時間には、よく鏡川に通って水泳の授業を受けました。当時はどこにもプールが無かったのです。往年のオリンピック選手の北村久寿雄氏や、和歌山県の前畑秀子選手らは冬でも川に練習に通ったと伝えられています。
今日は流石 に大気が澄んで遠くの山の空まで水色に輝いています。画面中央やや右寄りの川の真上に見えている山が「筆山の月」で知られる筆山です。この山に満月が昇る情景は、中国の慮山の月を思わすものがあります。
昨日に打って変わっての暖かい午後、約5kmの散歩を楽しみました。

鏡川の風景
昨年はスミソニアンの小惑星センターの大御所、マースデン博士や森本雅樹氏、それに我々の身近では、村岡健治氏の死去という悲しい出来事がありました。森本先生とは去年の7月、姫路科学館でお会いしたばかりでした。年が明けて、悲しみを乗り越え、そして故人の天文界への貢献に感謝し、希望を新たに努力したいと思います。
年末から寒さと体調不良で床につくことが多かったのですが、今日は気合をかけて近くを散歩しました。写真は四万十川、仁淀川に次ぐ清流と言われている鏡川の風景です。近くに住んでいた坂本竜馬も家からふんどし姿で川に泳ぎに通ったと伝えられています。私も幼い頃には父に連れられてここで泳ぎを覚えました。小学校の体育の時間には、よく鏡川に通って水泳の授業を受けました。当時はどこにもプールが無かったのです。往年のオリンピック選手の北村久寿雄氏や、和歌山県の前畑秀子選手らは冬でも川に練習に通ったと伝えられています。
今日は
昨日に打って変わっての暖かい午後、約5kmの散歩を楽しみました。

鏡川の風景
2010年12月31日
マウナケアの思い出
あの日から11年も経ってしまいました。
芸西天文台の講師3人が、OAAが企画したすばる望遠鏡の見学団に参加して夜のマウナケアに上がりました。8月の夏真っ盛りと言うのに標高4200mの頂上では摂氏1度の寒さ。山の上で30分も頑張ったでしょうか。寒さにやられて天体撮影もほどほどに車の中に逃げ込みました。
私の行くことをどうして知ったのでしょうか。すぐ下の鬼塚記念館に現地で観測するアメリカの3人の天文学者が訪ねて下さいました。

すばる望遠鏡とドーム
すばる望遠鏡のあるドームの中も夜の温度に調整されていましたが、とてつもない巨大なビルの中に入った感じで、8m望遠鏡も余りに大きくて実感が湧いてきませんでした。

夏の天の川
夜になって天文台の上に天の川が輝き出しました。35mmカメラによる固定撮影ですが、さそりやいてが以外と高く輝き、他の星座を見つけるにも緯度の関係でまごつきました。

山の頂上付近からの西北の眺めです。左の端にすばるのドームが見えます。遠くはハレアカラ火山です。星は絵に描いたほどに大きく輝き、地平線すれすれの星まで、芸西で見る天頂の星くらいの輝きです。大熊座の北斗七星が大きく描かれています。ここで観測したら一晩の中に何かが発見できそうだ、と思いました。
太古の人々は、平地でいつもこのようなすごい星空を眺めて、それなりに宇宙観を暖めてきたものだ、と初めて気が付きました。ガリレオ以前の天文学の発展です。
芸西天文台の講師3人が、OAAが企画したすばる望遠鏡の見学団に参加して夜のマウナケアに上がりました。8月の夏真っ盛りと言うのに標高4200mの頂上では摂氏1度の寒さ。山の上で30分も頑張ったでしょうか。寒さにやられて天体撮影もほどほどに車の中に逃げ込みました。
私の行くことをどうして知ったのでしょうか。すぐ下の鬼塚記念館に現地で観測するアメリカの3人の天文学者が訪ねて下さいました。

すばる望遠鏡とドーム

夏の天の川

太古の人々は、平地でいつもこのようなすごい星空を眺めて、それなりに宇宙観を暖めてきたものだ、と初めて気が付きました。ガリレオ以前の天文学の発展です。
2010年11月23日
お龍姉妹の銅像
芸西天文台の膝元「琴ヶ浜」には、竜馬の妻だった「おりょう」とその妹「君枝」の銅像が立っています。
琴ヶ浜には竜馬の生まれた1835年に植えられた松林があって、嵐のような強い風の吹くとき琴を奏でるような音を立てるというのでその名があります。
芸西の天文台の出来た頃には、ひなびた何も無い素朴な美しい海岸でしたが、いまは野外劇場や海水プールのような施設が出来て都会的となってしまいました。天文台で朝の観測が終わって浜に出て、長い渚を独り散策した日が懐かしく思い出されます。
♪あした浜辺をさまよえば
むかしの人ぞしのばれる、、、、、。
NHKの大河ドラマ「竜馬伝」も終わりとなりましたが、芸西村にも関連する人が居たわけです。つまりお龍の妹「君枝」の旦那は芸西村の出身で、土佐勤皇党の武士でもありました。お龍姉妹の銅像が天にむかって手を挙げているのは、言うまでもなく空を飛んでいる竜馬(小惑星2835)に向かって呼応している姿で、桂浜にある竜馬の銅像も、琴ヶ浜のある東の水平線を見ているのです。
![[お龍・君枝 姉妹像]](http://comet-seki.net/Photo/D20101123.jpg)
お龍・君枝 姉妹像
琴ヶ浜には竜馬の生まれた1835年に植えられた松林があって、嵐のような強い風の吹くとき琴を奏でるような音を立てるというのでその名があります。
芸西の天文台の出来た頃には、ひなびた何も無い素朴な美しい海岸でしたが、いまは野外劇場や海水プールのような施設が出来て都会的となってしまいました。天文台で朝の観測が終わって浜に出て、長い渚を独り散策した日が懐かしく思い出されます。
♪あした浜辺をさまよえば
むかしの人ぞしのばれる、、、、、。
NHKの大河ドラマ「竜馬伝」も終わりとなりましたが、芸西村にも関連する人が居たわけです。つまりお龍の妹「君枝」の旦那は芸西村の出身で、土佐勤皇党の武士でもありました。お龍姉妹の銅像が天にむかって手を挙げているのは、言うまでもなく空を飛んでいる竜馬(小惑星2835)に向かって呼応している姿で、桂浜にある竜馬の銅像も、琴ヶ浜のある東の水平線を見ているのです。
![[お龍・君枝 姉妹像]](http://comet-seki.net/Photo/D20101123.jpg)
お龍・君枝 姉妹像
2010年11月10日
秋の黄砂
季節外れの大陸からの黄砂の影響で、天体観測に支障がでています。気象台では11月10日を過ぎてから、西日本での黄砂を発表しましたが、その前の11月9日には、かなり激しい黄砂が確認されました。晴れても星空がなんだかどんよりとして、撮影しても2~3等損をしているようです。
写真は11月9日の夕刻、自宅の屋上(関観測所[370])と、下の道路上で見た落日の黄砂現象です。

自宅の屋上からの夕空

透明度の悪い夕空
写真は11月9日の夕刻、自宅の屋上(関観測所[370])と、下の道路上で見た落日の黄砂現象です。

自宅の屋上からの夕空

透明度の悪い夕空
2010年11月05日
暁の空に日本人の新彗星輝く
発見された直後の「池谷・村上彗星」の画像です。
朝5時、彗星は東天の低空、おとめ座の中を10等星として南下しています。70cm反射望遠鏡に同架した15cm22xの屈折望遠鏡で覗くと、直径5分ばかりの星雲状で、9.5等星と目測されました。写真ではかすかに尾らしい流れがあります。尾は徐々に発展しつつありますが、光度は落ちていきます。
世はリニア計画等、プロによる捜索の渦巻く中、「熱心に観測すれば必ず発見のチャンスはある」と豪語してきましたが、先のマックホルツ、それに今回の池谷 、村上両氏の発見は、それを立派に証明してくれました。
彗星は軌道傾斜角が8度と小さく、短周期彗星の可能性があります。
![[C/2010 V1 (Ikeya-Murakami)の画像]](http://comet-seki.net/Photo/C2010V1_D20101105.jpg)
C/2010 V1 (Ikeya-Murakami)
朝5時、彗星は東天の低空、おとめ座の中を10等星として南下しています。70cm反射望遠鏡に同架した15cm22xの屈折望遠鏡で覗くと、直径5分ばかりの星雲状で、9.5等星と目測されました。写真ではかすかに尾らしい流れがあります。尾は徐々に発展しつつありますが、光度は落ちていきます。
世はリニア計画等、プロによる捜索の渦巻く中、「熱心に観測すれば必ず発見のチャンスはある」と豪語してきましたが、先のマックホルツ、それに今回の
彗星は軌道傾斜角が8度と小さく、短周期彗星の可能性があります。
![[C/2010 V1 (Ikeya-Murakami)の画像]](http://comet-seki.net/Photo/C2010V1_D20101105.jpg)
C/2010 V1 (Ikeya-Murakami)
2010年10月05日
ネオファクスカメラ(Kカメラ)のその後
先に土佐市の池幸一氏の所持していた「ネオファックスカメラ」について西播磨天文台で、同じものを見たお話をしましたが、その後天文台の黒田台長と松江市でお会いし、確かめたところ、これは形式は同じでも、池氏の所有していたものとは全くの別物であることが分かりました。またホームページを見た長野県の坂井義人氏からも親切なメールが届き、その行方が判明しました。
「ネオファックスカメラ」は、光学研究家の小林義生氏が従軍中に開発した特殊カメラで(以下、Kカメラと呼びます)、従来のシュミットともマクストフカメラとも違う、氏の独自の設計によるFの明るいカメラです。戦時中飛行機に積んで、暗い敵の基地を撮影する目的のものでしたが、結果を残せないまま終戦になり、戦後更なる研究の末、天体カメラとして登場しました。
池氏と小林氏との関係は判然としませんが、池氏が彗星発見の目的で、また当時話題になった月の第二衛星を撮影するために特に明るい光学系を望み、ある日、京都の小林氏に手紙を書いたことから始まったようです。小林氏は何回か土佐市の池氏を訪ね、また観光をかねて一家で来られたこともあります。そして池氏のためにKカメラを提供することを約束しました。完成のための費用を池氏が負担すると言うことになっていたようです。そのためにカメラ名の先頭に「Ike」の名を冠したものと想像されます。
しかし結果的には十分に使用されずに、小林氏のもとに返されることになり、その後、長野県の小川天文台の坂井氏が譲り受けて活用しています。
池氏の持っていたKカメラは口径(補正版)が20cm、主鏡30cm、Fはたしか2.5だったと思います。当時、富士やコダックの高価なガラス乾板を丸くくりぬいて使用しました。1972年の桂浜での「彗星会議」の時、池氏がこれを持ち込んで披露しましたが、東京天文台の冨田氏は、「乾板の膜面に触れて切るのは悪い。またまん丸は掃天の時に不都合」と批判されました。発明者の小林氏は、「まだ研究の段階で、カメラを公の場で披露したり、これで撮った作品を天文雑誌なんかに出してはいけない」と池氏に警告されました。何事も発展することを望んでいた池氏はこのあたりから意欲がうすれ、すべてがルーズになって行ったと想像されます。

高知市での彗星会議の席上で、目隠しをして
ガラス乾板を丸く切る実験をする池幸一氏
見守るのは長谷川一郎、古川麒一郎の両氏
西播磨天文台のある技官は、このKカメラを、フィルムを使って使用していましたが、「いまはデジカメの方が明るく写る。これも時代の流れかな....」と話していました。坂井氏もメールで言っておられましたが、デジタル化が望まれます。技術的に困難かも知れませんが、そうなれば明るさにおいては天下一品ですから、使い方によったら素晴らしい今後の活躍が期待されます。
なお小林氏はKカメラによる天の川の写真星図を出版されたことは周知の如くで、次に南半球での撮影を計画されていたとき、残念にも志半ばで逝去されました。

池・ネオファックスカメラ(池幸天文台)
「ネオファックスカメラ」は、光学研究家の小林義生氏が従軍中に開発した特殊カメラで(以下、Kカメラと呼びます)、従来のシュミットともマクストフカメラとも違う、氏の独自の設計によるFの明るいカメラです。戦時中飛行機に積んで、暗い敵の基地を撮影する目的のものでしたが、結果を残せないまま終戦になり、戦後更なる研究の末、天体カメラとして登場しました。
池氏と小林氏との関係は判然としませんが、池氏が彗星発見の目的で、また当時話題になった月の第二衛星を撮影するために特に明るい光学系を望み、ある日、京都の小林氏に手紙を書いたことから始まったようです。小林氏は何回か土佐市の池氏を訪ね、また観光をかねて一家で来られたこともあります。そして池氏のためにKカメラを提供することを約束しました。完成のための費用を池氏が負担すると言うことになっていたようです。そのためにカメラ名の先頭に「Ike」の名を冠したものと想像されます。
しかし結果的には十分に使用されずに、小林氏のもとに返されることになり、その後、長野県の小川天文台の坂井氏が譲り受けて活用しています。
池氏の持っていたKカメラは口径(補正版)が20cm、主鏡30cm、Fはたしか2.5だったと思います。当時、富士やコダックの高価なガラス乾板を丸くくりぬいて使用しました。1972年の桂浜での「彗星会議」の時、池氏がこれを持ち込んで披露しましたが、東京天文台の冨田氏は、「乾板の膜面に触れて切るのは悪い。またまん丸は掃天の時に不都合」と批判されました。発明者の小林氏は、「まだ研究の段階で、カメラを公の場で披露したり、これで撮った作品を天文雑誌なんかに出してはいけない」と池氏に警告されました。何事も発展することを望んでいた池氏はこのあたりから意欲がうすれ、すべてがルーズになって行ったと想像されます。

高知市での彗星会議の席上で、目隠しをして
ガラス乾板を丸く切る実験をする池幸一氏
見守るのは長谷川一郎、古川麒一郎の両氏
西播磨天文台のある技官は、このKカメラを、フィルムを使って使用していましたが、「いまはデジカメの方が明るく写る。これも時代の流れかな....」と話していました。坂井氏もメールで言っておられましたが、デジタル化が望まれます。技術的に困難かも知れませんが、そうなれば明るさにおいては天下一品ですから、使い方によったら素晴らしい今後の活躍が期待されます。
なお小林氏はKカメラによる天の川の写真星図を出版されたことは周知の如くで、次に南半球での撮影を計画されていたとき、残念にも志半ばで逝去されました。

池・ネオファックスカメラ(池幸天文台)
2010年09月25日
また月下美人が咲きました
庭の鉢で月下美人の花が咲きました。
いつも満月に近い明月の深夜に咲くので注意しておりましたら、今月も仲秋名月の夜に見事に咲きました。咲くのは早く、宵のうちはまだ蕾の状態でしたが、月が高くなる深夜に、まるでスローモーション映画を見るがごとくアッと言う間に全開となりました。咲いたのは、誰も見ていない深夜のたった5時間くらいです。なんと神秘的な花でしょうか。
いま新しい蕾が5輪あります。果たして次の満月と呼応して咲くのでしょうか、興味津々です。

名月輝く夜に

明月と呼応して深夜開いた月下美

その5時間後、再び蕾となって消える
いつも満月に近い明月の深夜に咲くので注意しておりましたら、今月も仲秋名月の夜に見事に咲きました。咲くのは早く、宵のうちはまだ蕾の状態でしたが、月が高くなる深夜に、まるでスローモーション映画を見るがごとくアッと言う間に全開となりました。咲いたのは、誰も見ていない深夜のたった5時間くらいです。なんと神秘的な花でしょうか。
いま新しい蕾が5輪あります。果たして次の満月と呼応して咲くのでしょうか、興味津々です。

名月輝く夜に

明月と呼応して深夜開いた月下美

その5時間後、再び蕾となって消える
