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      <title>星雑草（気まぐれ日記）</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
      <lastBuildDate>Sun, 29 Jan 2012 11:51:43 +0900</lastBuildDate>
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         <title>P/2003 HT15 (LINEAR)の回帰を検出しました</title>
         <description><![CDATA[　今回芸西チームによってP/2003 HT15という初めて回帰する周期彗星が検出されました。芸西の天文台としては1994年5月6日の「ブルックス第2彗星」以来実に18年振りのことです。これは新70cm反射鏡で10分露出を14枚も撮影した<ruby><rb>下元</rb><rp>(</rp><rt>しももと</rt><rp>)</rp></ruby>さんと、その観測結果から軌道計算し、なお的確に判断してスミソニアンに報告した佐藤裕久さんの努力の結晶です。<br>
　いまは世界的に望遠鏡が大型化し、70cmクラスの中口径で暗い星を検出することは困難となっています。望遠鏡の多くの欠陥を努力でカバーしていくというアマチュア精神が実って今回の結果を招来しました。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/P2012B2_D20120126_p1.jpg" width="403" height="362" border="0" alt="[P/2003 HT15 (LINEAR)の検出画像]"><br>
P/2003 HT15 (LINEAR)の検出画像<br>
<br>
</div>
]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2012/01/p2003_ht15_linear.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">0300 彗星捜索</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 11:51:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>彗星発見の条件</title>
         <description><![CDATA[　毎年秋がやって来て10月11日が訪れると俄かに緊張で体が引き締まる思いです。生まれて初めて彗星を発見したのが今日だったからです。良いお天気でした。一日中茫然として青空を眺め、夢のような気持でした。<br>
　しかしあれから丁度50年、なんと半世紀になります！<br>
　「いま世界中で誰も知らない星が、この頭上に輝いているのだ。発見は本物だろうか？」と半信半疑の体で、心は渦巻き夢のような気持で一日を過ごしたのでした。<br>
　夜明け前の4時50分でした。しし座のベータ星の近くに視野が差し掛かったとき、突然7等級の朦朧とした光体がよぎりました。既に薄明が始まっていました。<br>
「光度は7等、視直径は僅かに2'、彗星独特の尾はなし。非常に小さな球状星団の様です」。<br>
　口径僅かに88mm、15xのコメットシーカーですから、眼が鋭くないと見逃してしまいます。現に時を同じくして、私の高知市から西に15km、土佐市に住む池幸一（いけ　こういち）氏が、私の譲った10cm25xの反射望遠鏡で同じしし座を捜索していましたが、見事に見逃していました。<br>
　この微弱な彗星の発見を可能にしたのは88mmの対物レンズの性能でした。滋賀県の苗村敬夫（なむら　たかお）氏の手磨きになるレンズは、抜群の切れ味で、その後このような優秀な対物レンズにお眼にかかったことはありません。これが苗村氏の記念すべき第一作と言うから驚きです。苗村さんは最近その努力が実って『現代の名工』に選ばれました。<br>
　彗星の発見は星像の尖鋭なことが何より大切です。シャープな星影は細かな彗星像を検出するばかりか、覗く人の心までシャープにして、捜索に熱中さすのです。この時の私の成功はこの小さなレンズのお陰だと思っています。<br>
　私にとって記念すべき第一の発見は、その後彗星の地球への急接近と言うことになり、日頃研鑽した軌道決定の腕の見せ所となったのです。「発見した彗星の軌道計算を自分でやってみたい」というのが私の夢でもありました。<br>
]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2011/10/post_159.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">0300 彗星捜索</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 11 Oct 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>凄い黄砂地獄</title>
         <description><![CDATA[　年が明けてから1回も雨が降りませんでした。昨日までの約40日、毎日晴天続きで極端に寒い日も多くありました。過去高知県では百何十年無かった記録とか。<br>
　空が晴れて観測が進みそうですが、どっこいそうは行かず、大気は黄ばんで猛烈な黄砂です。日によっては遠くの山は見えず、至近距離の風景でさえも煙っています。これは中国からの普通の黄砂現象ではなく、恐らく最近猛威を振るっている九州の「新燃岳」の影響と思われます。高知県も西の端の宿毛で火山灰が降ってきた記録がありますが、はるか東のここ高知市にもついに火山灰が降ってきました。眼に見えない微粒ですが、車の屋根にうっすらと積もっています。濃い黄砂が降ってきて総ての風景が染まった感じです。<br>
　昔を思い出しました。20年は経ったでしょうか。フィリピンのピナツボ火山の大爆発で駐屯の米軍が撤退したことがあります。そのころオーストラリアの捜索界の雄、ブラッドフィールドが暁天に彗星発見をやったのですが、芸西では南の空が煙って観測できなかったことがあります。火山灰は成層圏近くにまでせまってしばらく浮遊し、天体観測は世界的に公害を被ったのでした。<br>
　写真は自宅の二階の窓からの南の景観で2月7日の午後です。明るいはずの晴天が暗く夕闇のように見えます。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20110208.jpg" width="400" height="281" border="0"><br>
黄砂で夕闇の様になった高知市の空<br>
2011年2月7日午後撮影<br>
<br>
</div>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9999　その他</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 08 Feb 2011 22:03:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>謹賀新年</title>
         <description><![CDATA[　今年初めての日記です。<br>
　昨年はスミソニアンの小惑星センターの大御所、マースデン博士や森本雅樹氏、それに我々の身近では、村岡健治氏の死去という悲しい出来事がありました。森本先生とは去年の7月、姫路科学館でお会いしたばかりでした。年が明けて、悲しみを乗り越え、そして故人の天文界への貢献に感謝し、希望を新たに努力したいと思います。<br>
　年末から寒さと体調不良で床につくことが多かったのですが、今日は気合をかけて近くを散歩しました。写真は四万十川、仁淀川に次ぐ清流と言われている鏡川の風景です。近くに住んでいた坂本竜馬も家からふんどし姿で川に泳ぎに通ったと伝えられています。私も幼い頃には父に連れられてここで泳ぎを覚えました。小学校の体育の時間には、よく鏡川に通って水泳の授業を受けました。当時はどこにもプールが無かったのです。往年のオリンピック選手の北村久寿雄氏や、和歌山県の前畑秀子選手らは冬でも川に練習に通ったと伝えられています。<br>
　今日は<ruby><rb>流石</rb><rp>(</rp><rt>さすが</rt><rp>)</rp></ruby>に大気が澄んで遠くの山の空まで水色に輝いています。画面中央やや右寄りの川の真上に見えている山が「筆山の月」で知られる筆山です。この山に満月が昇る情景は、中国の慮山の月を思わすものがあります。<br>
昨日に打って変わっての暖かい午後、約5kmの散歩を楽しみました。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20110102.jpg" width="400" height="300" border="0"><br>
鏡川の風景<br>
<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2011/01/post_157.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9999　その他</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 02 Jan 2011 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>マウナケアの思い出</title>
         <description><![CDATA[　あの日から11年も経ってしまいました。<br>
　芸西天文台の講師3人が、OAAが企画したすばる望遠鏡の見学団に参加して夜のマウナケアに上がりました。8月の夏真っ盛りと言うのに標高4200mの頂上では摂氏1度の寒さ。山の上で30分も頑張ったでしょうか。寒さにやられて天体撮影もほどほどに車の中に逃げ込みました。<br>
　私の行くことをどうして知ったのでしょうか。すぐ下の鬼塚記念館に現地で観測するアメリカの3人の天文学者が訪ねて下さいました。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101231_1.jpg" width="400" height="265" border="0"><br>
すばる望遠鏡とドーム<br>
<br>
</div>
　すばる望遠鏡のあるドームの中も夜の温度に調整されていましたが、とてつもない巨大なビルの中に入った感じで、8m望遠鏡も余りに大きくて実感が湧いてきませんでした。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101231_2.jpg" width="400" height="271" border="0"><br>
夏の天の川<br>
<br>
</div>　夜になって天文台の上に天の川が輝き出しました。35mmカメラによる固定撮影ですが、さそりやいてが以外と高く輝き、他の星座を見つけるにも緯度の関係でまごつきました。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101231_3.jpg" width="400" height="271" border="0"><br>
<br>
</div>　山の頂上付近からの西北の眺めです。左の端にすばるのドームが見えます。遠くはハレアカラ火山です。星は絵に描いたほどに大きく輝き、地平線すれすれの星まで、芸西で見る天頂の星くらいの輝きです。大熊座の北斗七星が大きく描かれています。ここで観測したら一晩の中に何かが発見できそうだ、と思いました。<br>
<br>
　太古の人々は、平地でいつもこのようなすごい星空を眺めて、それなりに宇宙観を暖めてきたものだ、と初めて気が付きました。ガリレオ以前の天文学の発展です。<br>
]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/12/post_156.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1400 旅行</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 31 Dec 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>お龍姉妹の銅像</title>
         <description><![CDATA[　芸西天文台の膝元「琴ヶ浜」には、竜馬の妻だった「おりょう」とその妹「君枝」の銅像が立っています。<br>
　琴ヶ浜には竜馬の生まれた1835年に植えられた松林があって、嵐のような強い風の吹くとき琴を奏でるような音を立てるというのでその名があります。<br>
　芸西の天文台の出来た頃には、ひなびた何も無い素朴な美しい海岸でしたが、いまは野外劇場や海水プールのような施設が出来て都会的となってしまいました。天文台で朝の観測が終わって浜に出て、長い渚を独り散策した日が懐かしく思い出されます。<br>
　<br>
♪あした浜辺をさまよえば<br>
　　　　むかしの人ぞしのばれる、、、、、。<br>
<br>
　NHKの大河ドラマ「竜馬伝」も終わりとなりましたが、芸西村にも関連する人が居たわけです。つまりお龍の妹「君枝」の旦那は芸西村の出身で、土佐勤皇党の武士でもありました。お龍姉妹の銅像が天にむかって手を挙げているのは、言うまでもなく空を飛んでいる竜馬（小惑星2835）に向かって呼応している姿で、桂浜にある竜馬の銅像も、琴ヶ浜のある東の水平線を見ているのです。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101123.jpg" width="265" height="400" border="0" alt="[お龍・君枝　姉妹像]"><br>
お龍・君枝　姉妹像<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/11/post_155.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">1300 土佐の偉人</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 23 Nov 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>秋の黄砂</title>
         <description><![CDATA[　季節外れの大陸からの黄砂の影響で、天体観測に支障がでています。気象台では11月10日を過ぎてから、西日本での黄砂を発表しましたが、その前の11月9日には、かなり激しい黄砂が確認されました。晴れても星空がなんだかどんよりとして、撮影しても2～3等損をしているようです。<br>
　写真は11月9日の夕刻、自宅の屋上（関観測所[370]）と、下の道路上で見た落日の黄砂現象です。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101110_1.jpg" width="400" height="280" border="0"><br>
自宅の屋上からの夕空<br>
<br>
<br>
<img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101110_2.jpg" width="400" height="280" border="0"><br>
透明度の悪い夕空<br>
<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/11/post_154.html</link>
         <guid>http://comet-seki.net/diary/2010/11/post_154.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9999　その他</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 10 Nov 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>暁の空に日本人の新彗星輝く</title>
         <description><![CDATA[　発見された直後の「池谷・村上彗星」の画像です。 <br>
　朝5時、彗星は東天の低空、おとめ座の中を10等星として南下しています。70cm反射望遠鏡に同架した15ｃｍ22ｘの屈折望遠鏡で覗くと、直径5分ばかりの星雲状で、9.5等星と目測されました。写真ではかすかに尾らしい流れがあります。尾は徐々に発展しつつありますが、光度は落ちていきます。
<br>
　世はリニア計画等、プロによる捜索の渦巻く中、「熱心に観測すれば必ず発見のチャンスはある」と豪語してきましたが、先のマックホルツ、それに今回の<ruby><rb>池谷</rb><rp>(</rp><rt>いけや</rt><rp>)</rp></ruby>、村上両氏の発見は、それを立派に証明してくれました。<br>
　彗星は軌道傾斜角が8度と小さく、短周期彗星の可能性があります。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/C2010V1_D20101105.jpg" width="400" height="350" border="0" alt="[C/2010 V1 (Ikeya-Murakami)の画像]"><br>
<br>
C/2010 V1 (Ikeya-Murakami)<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/11/post_153.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">0500 観測データ</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 05 Nov 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ネオファクスカメラ（Kカメラ）のその後</title>
         <description><![CDATA[　先に土佐市の池幸一氏の所持していた「ネオファックスカメラ」について西播磨天文台で、同じものを見たお話をしましたが、その後天文台の黒田台長と松江市でお会いし、確かめたところ、これは形式は同じでも、池氏の所有していたものとは全くの別物であることが分かりました。またホームページを見た長野県の坂井義人氏からも親切なメールが届き、その行方が判明しました。<br>
　「ネオファックスカメラ」は、光学研究家の小林義生氏が従軍中に開発した特殊カメラで（以下、Kカメラと呼びます）、従来のシュミットともマクストフカメラとも違う、氏の独自の設計によるFの明るいカメラです。戦時中飛行機に積んで、暗い敵の基地を撮影する目的のものでしたが、結果を残せないまま終戦になり、戦後更なる研究の末、天体カメラとして登場しました。<br>
　池氏と小林氏との関係は判然としませんが、池氏が彗星発見の目的で、また当時話題になった月の第二衛星を撮影するために特に明るい光学系を望み、ある日、京都の小林氏に手紙を書いたことから始まったようです。小林氏は何回か土佐市の池氏を訪ね、また観光をかねて一家で来られたこともあります。そして池氏のためにKカメラを提供することを約束しました。完成のための費用を池氏が負担すると言うことになっていたようです。そのためにカメラ名の先頭に「Ike」の名を冠したものと想像されます。<br>
　しかし結果的には十分に使用されずに、小林氏のもとに返されることになり、その後、長野県の小川天文台の坂井氏が譲り受けて活用しています。<br>
　池氏の持っていたKカメラは口径（補正版）が20cm、主鏡30cm、Fはたしか2.5だったと思います。当時、富士やコダックの高価なガラス乾板を丸くくりぬいて使用しました。1972年の桂浜での「彗星会議」の時、池氏がこれを持ち込んで披露しましたが、東京天文台の冨田氏は、「乾板の膜面に触れて切るのは悪い。またまん丸は掃天の時に不都合」と批判されました。発明者の小林氏は、「まだ研究の段階で、カメラを公の場で披露したり、これで撮った作品を天文雑誌なんかに出してはいけない」と池氏に警告されました。何事も発展することを望んでいた池氏はこのあたりから意欲がうすれ、すべてがルーズになって行ったと想像されます。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101005_2.jpg" width="400" height="246" border="0"><br>
高知市での彗星会議の席上で、目隠しをして<br>
ガラス乾板を丸く切る実験をする池幸一氏<br>
見守るのは長谷川一郎、古川麒一郎の両氏<br>
</div>
<br>
　西播磨天文台のある技官は、このKカメラを、フィルムを使って使用していましたが、「いまはデジカメの方が明るく写る。これも時代の流れかな....」と話していました。坂井氏もメールで言っておられましたが、デジタル化が望まれます。技術的に困難かも知れませんが、そうなれば明るさにおいては天下一品ですから、使い方によったら素晴らしい今後の活躍が期待されます。<br>
　なお小林氏はKカメラによる天の川の写真星図を出版されたことは周知の如くで、次に南半球での撮影を計画されていたとき、残念にも志半ばで逝去されました。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20101005.jpg" width="304" height="400" border="0"><br>
池・ネオファックスカメラ（池幸天文台）<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/10/k.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9999　その他</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 05 Oct 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>また月下美人が咲きました</title>
         <description><![CDATA[　庭の鉢で月下美人の花が咲きました。<br>
　いつも満月に近い明月の深夜に咲くので注意しておりましたら、今月も仲秋名月の夜に見事に咲きました。咲くのは早く、宵のうちはまだ蕾の状態でしたが、月が高くなる深夜に、まるでスローモーション映画を見るがごとくアッと言う間に全開となりました。咲いたのは、誰も見ていない深夜のたった5時間くらいです。なんと神秘的な花でしょうか。<br>
　いま新しい蕾が5輪あります。果たして次の満月と呼応して咲くのでしょうか、興味津々です。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100925_1.jpg" width="400" height="263" border="0"><br>
名月輝く夜に<br>
<br>
<img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100925_2.jpg" width="400" height="265" border="0"><br>
明月と呼応して深夜開いた月下美<br>
<br>
<img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100925_3.jpg" width="400" height="260" border="0"><br>
その5時間後、再び蕾となって消える<br>
<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/09/post_152.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9999　その他</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 25 Sep 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>OAA松江大会に参加して</title>
         <description><![CDATA[　松江市でのOAA大会に参加しました。<br>
　参加者はそれほど多くはありませんでしたが、熱心な方々ばかりで、かつ地元会員や「松江星の会」の協力でスムーズに、つつがなく行われました。総会での承認事項も多少の質疑があったものの、無事承認されました。研究発表も西播磨天文台の黒田武彦氏をはじめ5名の方々によって熱心に発表や質疑が行われました。また地元の藤岡大拙氏による「出雲」の歴史やその魅力についてのユニークな講話があり、また「美保の関隕石」の拾得者の松本さんもやってきて、隕石落下の話や、その後のそれによる人生の変化についても興味ある話題を提供してくださいました。私も翌日の講演の中でそれを引用し、彗星との出会いによって、自分の人生が大きく変わったことを話しました。この9月19日は奇しくも45年前の&quot;池谷・関彗星&quot;の発見記念日でした。同じ日曜日でした。演題は「クロイツ属彗星発見の日」、あのとき腕に付けていた手巻きの腕時計は今も回り続け、そのかすかな秒音は忘れかけたあの日の感激を思い出させてくれました。<br>
<br>
<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100919_2.jpg" width="400" height="269" border="0"><br>
総会で会長就任の挨拶をする関勉<br>
<br>
</div>　表彰式の賞状の授与では板垣公一さんの星の数の多いのには驚きました。なんと1年間に16個ありました。このほか坪井正紀さんは超新星2個、また西村栄男さんには新星4個の発見を表彰いたしました。西村さんは私の家を個人的に訪ねてきたことがあるとのことでした。<br>
　前会長の長谷川一郎氏には「東亜天文学会賞」を授与し、また初対面の九州の松本直弥氏には「山本一清東亜天文学会学術奨励賞」を授与いたしました。人を表彰することは美しいことです。会の成功をたたえた地元の方々の努力も素晴らしかったし、周辺の景色も美しいし。良いことばかしの思い出に残る会でした。<br>
<br>
　初日は終了後、会場を近くの宍道湖畔に移し懇親会を行いました。ガラス張りのレストラン1階は広大な湖が丸見えで、折から湖上に落ちていく赤い夕日は絶景でした。たくさんの観光客が砂浜に整列して、この珍しい景観を眺めていました。土佐の太平洋の荒海では「だるま太陽」が見られるところですが、静かな湖面では丸い太陽がそのまま欠けて沈んでいきました。<br>
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<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100919_3.jpg" width="400" height="240" border="0"><br>
宍道湖の湖畔に出て落日を楽しむ<br>
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</div>　特別参加の静岡県の女性5名によるコーラスも聞かれ楽しい会合でした。<br>
　次回は東京です。OAAの、これからの発展期待。特に若い人々に魅力のある会に育てたいとの私の挨拶で閉会しました。<br>
　帰りの伯備線では黒田氏、松本氏、船田氏夫妻、藪氏夫妻が一緒でした。折から窓外にはあの名山「大山」が、OAAの未来を占うごとく悠然と聳えていました。<br>
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<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100919_1.jpg" width="400" height="264" border="0"><br>
OAA松江総会での記念写真<br>
</div>]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">0700 講演会・講師</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 19 Sep 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>ドノホーメダルの輝き</title>
         <description><![CDATA[　去る8月には再び岩手県の水沢を訪ねました。小惑星「平泉」誕生の記念行事があり、地元の知事も参加してのパネルディスカッションが行われました。<br>
　この時、国立天文台（元、緯度観測所）で&quot;ドノホーメダル&quot;を見せてもらいました。このメダルは今から遠く80年の昔、ここに勤めていた山崎正光氏が彗星を発見した時、アメリカの太平洋天文学会から授与されたもので、いまだメダルの光沢は衰えていませんでした。彗星は、のち&quot;クロムメリン彗星&quot;と改められましたが、山崎氏発見の業績はメダルの輝く限り後世に語り次がれることでしょう。このメダルは次男の山崎明氏が岩手県に寄付されたものですが、私はいまから56年の昔、山崎氏の高知県佐川町の自宅で見たことがあります。実に半世紀以上もたって、再び対面することとなったのでした。<br>
　問題のクロムメリン彗星は、28年の周期彗星ですから、1956年に回帰し、私は山崎さんとの約束通りに1956年に独立発見しました。そしてさらに28年後の1984年にも回帰し、今度は芸西天文台の60cm反射望遠鏡で観測しました。<br>
　クロムメリン彗星は、次は2011年（来年）か、2012年に回帰します。山崎氏の業績は、また話題になることでしょう。<br>
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<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100918.jpg" width="400" height="297" border="0"><br>1928年、アメリカ太平洋天文学会から送られた「ドノホーメダル」<br>
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<img src="http://comet-seki.net/Photo/27P-Commelin_D19840229-2.jpg" width="400" height="350" border="0" alt="[クロムメリン彗星]"><br>
クロムメリン彗星<br>
</div>]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/09/post_151.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">0700 講演会・講師</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 18 Sep 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>池・ネオファックスカメラの怪</title>
         <description><![CDATA[　去る7月、小惑星「姫路」命名に関して姫路市に行ったとき、西播磨天文台台長、黒田武彦氏のご好意で、同天文台を見学しました。メインは口径2mの大反射鏡で、見た時、一瞬ハワイのすばる望遠鏡のイメージが浮かんできました。それもそのはず、この反射望遠鏡はすばるを作った三菱電機製で、なんと青い塗料も、すばるを塗装したときの残りのペイントを使ったそうです。数名の台員がパソコンの画面と取り組み、遠い銀河宇宙の研究に没頭している様子でした。<br>
　この天文台には、ほかに大小の施設が点在し、その中に特殊な明るいレンズの広角カメラが、小さなドームに入っていました。一見したとき驚きました。それは35年の昔、土佐市の<ruby><rb>池幸一</rb><rp>(</rp><rt>いけ　こういち</rt><rp>)</rp></ruby>氏が自慢して持っていた「池・ネオファックスカメラ」だったのです。池・ネオファックスカメラとは池氏が資金を出して、京都の光学の専門家、小林義生氏が設計し、木辺氏が研磨したというマクストフ系の特殊カメラで、Fが1.4とか2.0とか言う明るさが特長でした。池氏はこれに多額の費用をかけて完成し、高知県土佐市の繁華な自宅屋上にすえたのでした。目標は彗星の探索でしたが、一発の成果も挙がらないまま数年で幕を閉じました。<br>
　どのような理由があったか分かりませんが、その時岐阜県からSと名乗る男が機械の回収にやってきて持っていったのです。それ以来30年以上の長きにわたって消息を絶っていたのでした。この奇妙な特殊カメラは聞くところによると3台ほど作られたと言いますから、あるいはこれは別物であったかも知れませんが、天文台の係員は、確かに「イケ、ネオファックスカメラ」と呼んでいました。<br>
　当の池幸一氏は、いま千葉県でご隠居の生活ですが、これを見て、一体どのように思われるのでしょうか。1973年の桂浜での彗星会議（第2回目）に、この構想を披露して一演説持った池氏ですが、いまは兵どもの夢の跡、となったのでした。<br>
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<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100910.jpg" width="400" height="267" border="0"><br>
池・ネオファックスカメラ<br>
</div>
]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/09/post_150.html</link>
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         <pubDate>Fri, 10 Sep 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>懐かしい望遠鏡との対面</title>
         <description><![CDATA[　多少古い話しになってしまいましたが、去る7月、講演のために姫路科学館を訪ねました。それは小惑星「姫路」が誕生したことを記念する講演会でしたが、会場の片隅に、口径22cmの反射鏡の筒が飾られていました。<br>
　これは私が、芸西天文台発足当初の1973年から使っていたものを当館の小関高明氏（高知県土佐市出身）に遠い昔に譲り渡したもので、鏡は小島鏡の傑作です。写真は実に35年ぶりの対面です。<br>
　懐かしい思い出は、この小さな反射鏡で、私の記念すべき最初の周期彗星を検出したことです。その名は「フィンレー彗星」。そう、忘れもしません。天文台がまだ個人の小屋の時代の1974年6月のことです。明け方の近日点近くにあって、低く行動していた、同彗星を狙って、足しげく通いました。6月入梅前の好天を利用して捜索しました。22cmという、周期彗星検出には異例の小さな筒を駆使して、しかもコダック社の天文用ガラス乾板を使い、そのコース上を何枚かの写真に収めました。その頃、アメリカではローマー女史の全盛で、日本では故、冨田弘一郎氏が堂平の90cm反射鏡を駆使して、次つぎに暗い周期彗星の発見に勤めていた矢先でした。<br>
　それはこの世界での突然のアマチュアの台頭です。この藪から棒の発見に当の冨田氏はもとより、スミソニアンのマースデン氏が驚いたに違いない。<br>
　筒はその後、間もなく同じ小島氏の40cm鏡へと進み、更に多くの彗星検出と発展していくのでした。その頃の私のモットーとすることに、口径は小さくとも、それで出来る最大の仕事をしよう、ということでした。そのことはコメットシーカーでも生かされ、口径88mmのレンズで新彗星3個の発見に成功したのでした。「イケヤ・セキ彗星」は、その中の1つです。<br>
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<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100905.jpg" width="400" height="267" border="0"><br>
1973年から使っていた22cm反射望遠鏡と対面<br>
姫路科学館にて<br>
2010年7月11日<br>
</div>
]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/09/post_149.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">0700 講演会・講師</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 05 Sep 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>月下美人が咲きました</title>
         <description><![CDATA[　いつの日にかこの日記で紹介したことがあります。<br>
　庭にある「月下美人」の鉢でつぼみが膨らみ始めたかと思うと、夜中に急に四輪の花が一斉に開花しました。前の時は月齢13夜の名月が煌煌と照っていました。今夜も明るい月があるはずですが、曇っているのか見えません。<br>
　花は23時からたった5時間咲いただけで、陽の当たる朝にはもうしぼんでいました。だれも見ていない時間に密かに美しい花びらを咲かせる。目立ちたがり屋が多い中に、なんと美しい”こころ”の持ち主でしょうか。この花を見ている時、人間は陰で良い事をしなくてはいけない、とつくづく思いました。世の中がさぞかし明るくなることでしょう。<br>
　写真はモノクロですが、花はその性格を象徴するような真っ白で、モノクロフイルムの見せ場です。<br>
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<div align="center"><img src="http://comet-seki.net/Photo/D20100731.jpg" width="400" height="300" border="0"><br>
庭に咲いた月下美人<br>
</div>
]]></description>
         <link>http://comet-seki.net/diary/2010/07/post_148.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">9999　その他</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 31 Jul 2010 23:00:00 +0900</pubDate>
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